【記事サイズ:50MB】2014年8月京阪神紀行(二)
2日目(8月22日,神戸)
ホテルの部屋には毎朝、阪急の駅から電車の接近メロディが入ってくる。安宿で泊まってた毎朝はそれで目覚める。
昨日の夜行バスの疲れが溜まった原因か、昨夜はもう、ぐっすりそのものだ。wufeeと俺は昨夜コンビニで買ったパンを食い終わったあと、姫路を目指して列車に乗った。今日の予定は、とりあえず姫路城をぐるっと一周、ついでに帰りに神戸寄ってwufeeがはじめに日本に来た時、最初の夕飯を済ました小料理屋を寄ろうと決めている。外は見ての通り、燦々とした快晴にして灼熱だ。
姫路行きの電車で、空から雨がしんしんと降り注ぎ、列車の小さな揺れで、俺は再び眠ってしまった。wufeeが起こしてくれた時、すでに姫路駅に着いたのであった。駅を出てたらほら見ろ、姫路城まで大通りが広々として目の前にある。どうやらこのお城には「俺様の姿を拝むに来た奴らを絶対に迷わせない」という強烈な決意が感じ取られそうだ。
俺たちは城に向かって大通りを堂々と進んでいって、そして入り口近くまで来た。堀は割と広くて、小さな橋に流れる水、のどかな光景だ。城が整備中か、それとも雨のせいか、観光客は思ったより少なく、じっくり見学できそうだ。
来る途中でずっとそういえば昔「太閤立志伝」という歴史シミュレーションRPGやってた頃、秀吉を選んで「本能寺の変」の章をプレイしてた。永禄年の時、黒田孝高(官兵衛)がここの代理城主だったが、その後秀吉に付いて本丸を譲って自分が二の丸へ移ったな。秀吉は三木城の戦いのあと、再び姫路城を補修し、毛利攻めに手を付けたその時、本能寺の変が起きた。備中高松城を水攻めで落とそうとしてる最中に仕方なく取り止め、兵士たちに重いやつ全部捨ててとりあえず姫路まで走って戻って、そして武装して光秀の討伐にあたった。まぁ、遅れをとったら大名なんか夢のまた夢だしな。
だがしかし、今の俺たちの目に映るこの姫路城は、もう、かの羽柴秀吉が天下人にまで上り詰めた過程を見守ったあのお城ではない。こちらの姫路城は安土桃山→江戸→明治大正昭和→平成の大改修を経て、言わばごく少数のパーツを除いて殆ど羽柴秀吉が住んでたあの城とは完全に別物と言っていいほどだ。
正門でチケットを買って、上の写真で見せたスタンプラリーの地図も頂いたし。俺たちはルートに沿って見て回った。途中には、姫路城の文物とか、瓦の残片とかが展示されている。ギャラリーもあって、音声付きガイドで見学客に向けて歴史を物語っている。
本丸は工事で2015年3月まで一般公開できない。どうやら俺たちの姫路城攻略はここまでということだ。
本丸の入り口のとろこに、黒田官兵衛の装いをしたスタッフの方が俺たちに挨拶をした。こうして、俺たちは喜んでスタッフさんと一緒に写真を撮り、スタンプラリーマップで捺印した。
姫路城スタンプラリーのゴールに、華やかな振り袖姿の、官兵衛の妻にあたる「光姫」の装いをしたスタッフがいらっしゃった。綺麗なおねえちゃんが居ると見とれて歩みを止めてしまう俺はそこで、スタッフの方にツーショット写真撮っても宜しいかを尋ねた。微笑むスタッフの方は快諾し、そこで次の写真を残す事ができました。今回の姫路の旅に、可愛い花を添えてくれたスタッフのお姉さんに、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました!
姫路城を出たあと、雨の勢いが増してきているので、そこでwufeeと相合い傘になって、二人で急ぎ足で駅に繋ぐ屋根が付いた商店街に入った。
本来の計画は、商店街で適当にいい感じの店に入ってそこでお昼を済まそうと思ったけど。結局商店街が尽きるまで歩いたけど気になる店が見当たらず、途中で抹茶味のアイスクリームだけ頂いて、ついでにコンビニにちょっとした買い物をしたら、そのまま電車に乗って尼崎を目指して、wufeeニキの思い出の場所へ。
神戸行きの電車で、wufeeの遠方の北京にいる友人から嬉しい知らせが来た、なんと、その友人の奥さんが無事出産を終え、かわいいしし座のお嬢様が生まれた。いやはや面倒くさいおとめ座じゃなくてよかったねがっはは(遠い目)。我、我が兄者wufeeと姫路を観光せし我が兄者の友人は姫君を授かり、此れ幸哉善哉。
そしてまた電車のガタンゴトンや昼下がりのほかほか日差しで眠りに落ちる。目覚めたらすでに三ノ宮駅に着いた。
尼崎に行くんだったら三ノ宮で阪神に乗り換えないといけない。この時、wufeeには少し迷いがあった、バディーが何を憂うかを承知しているつもりだ。わざわざ大切な時間を費やして行ったのに思い出の場所が見つからず、それではここまでのお膳立てが台無しでは。俺はそこまで心配しなく、むしろ楽観視してた、まだ時間は早いし、少し三ノ宮で散策してもいいし、これで万が一無駄足踏んでも、三ノ宮で十分に元は取れたから、このまま帰りの電車に乗っても損はしないであろう算段だった。
かと言って実を言うと俺も少し心細いところがあって、無駄足踏んだらバディーに気を遣ってもらうのではと。俺は可愛い姉ちゃんとツーショット撮れたから満足してるけど、wufeeはこれくらいでは満足しないだろう。最初の夜で見知らぬ土地に来て不安の気持ちでいっぱいのwufeeを慰めた小料理屋の女将さんと再会について語り、心残りを片付けるところを見届けたいというよりも、俺自身もバディーの言うこのカリスマに満ちたレディがどういう方かこの目で確かめたかった。幸い、wufeeは尼崎行こうと決めた。そこでとりあえず出発前に適当に三ノ宮近辺で散策することにした。そして、俺たちの旅での隠し分岐ルート——神戸南京町中華街が発見されたのだ。
実際のところこの中華街は今日の計画の中になかったから、こうして適当に時間を潰そうとしたつもりで、神戸にこのようなサプライズを贈られたのは予想外だった。wufeeと中華街を歩いてると、両端に色んな種類の中国フードからいい匂いがプンプンしやがって、ヨダレが垂れるのではないかこにゃろー!ここの中華街、横浜と違って、客を呼び寄せる手段は某栗売りみたいに付きまとうんじゃなく、店内で外に向かって声かけだけなので、だいぶ好印象。
アフタヌーンティーも済んだし、時間的にもそろそろだし、そして尼崎へ向かった。尼崎についたら、グーグルマップあるとはいえ、お店の詳しい住所が同じ建物内いろんなテナントが入っているので、どれが正しいか分からなくて、正解の扉を巡って何周も回った。
入り口すぐに見つからなかったのはもう一つ大きな要因があった。それは、当時、まだお店の営業時間前だったからだ。そしてラスト1周でこれで見つからなかったら帰るってなったタイミングで、ちょうどお店の暖簾が飾られたので、淡い緑地の千影の二文字はすぐ俺たちに本来の入り口まで案内した。扉を開けて入ると、迎えに出てくれたのはまさにあの何年か前にwufeeが初めて日本に来たあの夜に会った伝説のママさんであった。我が兄者が少し気持ちを整理してママさんとお話をし始めるのを見て、ほっとしたーーここに来ることを諦めなくてよかった!
wufeeから、ママさん見に来たと聞かれた時、ママさんは少し驚いて、「あらまぁー、あたしのためなの?」でもすぐに笑顔に戻った。ママさんが場の空気を盛り上げてくれたから、他の常連の方も俺らを受け入れてくれて、料理のおすそ分けまでしてくれた。ママさんももっと美味しい料理をご馳走してくれた。この小さな日本料理店で、酒飲んで楽しんで、歓声の中ですっかり遅くなっちゃった。あの夜はマジで飲んだ。千影から出た時、二人とも顔真っ赤っか、まるで猿のお尻。常連さんとママさんと一緒に記念写真を撮り終わったあと、店を出て支え合って大阪行きの電車を乗った。
ママさんにとって、ここに来る全員の顔を覚えるのは無理難題を押し付けるようなもんだが、だとしても今回この小料理屋に来た目的は達成したに変わりはない。俺はそういう気がした、そう、例えママさんが俺たちが来たことに思ったより冷たい反応をしても、wufeeは決して落ち込んだりしない。だって、俺のバディーは、もう迷わない。あの目に映るのは燃える愛、この日この時、この地に立つ彼の前に立ちはだかる者は一人もいない。なんせ、今の彼はもうゼロから始める、弱弱しい書生ではなく、手に鋼の弓と鋭い刃で今にでも高い山を登って龍を斬る侠客だ。
じゃ俺はどうよ?
ホテルに戻って風呂上りに、アルコールがまだ抜けてなく、上と下のまぶたが喧嘩してうとうとしている中で、俺は今日撮った一連の写真で、光姫の姉ちゃんと、商店街のドレスマネキンの姿が重ね合うのを見たような、俺は手を伸ばして、何かを捕まえようとしたけど、あれは結局霧のように散った。俺はついに深く眠りについたのであった。
2014年の俺は、熱い心を持っていながらも、向けられる存在は見つからずじまいであった。
Day2 Over.