15%関税引き下げ合意――「勝利」の陰にある主権喪失と構造的従属
2025年8月、日米両政府は日本に関わる15%の関税引き下げに合意した。この合意は、日本側にとって輸出拡大や日米関係の一層の安定につながる成果だとして国内で広く歓迎されている。主要紙やテレビは「日本企業の対米輸出が大幅に伸びる」「同盟関係の強化につながる」といった表現で伝え、政府も経済界も一様に今回の合意を称賛した。しかし、この表面的な“勝利”の陰には、日本の国家主権の長期的な侵食と対米構造的従属という深刻な現実が隠されている。
本稿では、まず表層的な成果として語られる要素を点検した上で、実際には日本側に主導権がなかった交渉の内実を検討する。さらに、1985年のプラザ合意以降続く広義の「属国化」プロセスとの歴史的連続性を明らかにし、メディア・官僚・世論がなぜこの「屈従」を「勝利」と錯覚したのかを分析する。最後に、今回の「関税引き下げ」が日本がもはや自立した交渉主体ではなく、米国の戦略に沿って動かされる「調整対象」と化している現状の象徴であることを論証したい。
表層的な「成果」の強調
一見すると、今回の15%関税引き下げ合意は日本にとって多大な利益をもたらすかのように映る。政府発表によれば、この措置によって日本の対米輸出は今後大幅な増加が見込まれるとされ、輸出産業を中心に経済界から歓迎の声が上がった。具体的な試算では、自動車部品や工作機械など関税引き下げの恩恵を受ける製品を中心に輸出額が数千億円規模で増える可能性があるとも伝えられている。日本経済全体にプラスの波及効果が期待できるとの分析も報じられ、こうした数字は合意の成果を裏付ける根拠として繰り返し強調された。
外交面でも、この合意は表向き日米関係の安定強化の証と受け取られている。実際、両政府関係者は今回の合意を「双方に利益をもたらすウィンウィンの合意」であると強調し、長引く通商交渉がひとまず円満に妥結したことで両国間の信頼関係が改めて示されたという評価がなされた。日本のメディアも「同盟国間の結束が経済面でも深化した」「対立ではなく協調による問題解決が図られた」と肯定的に報じている。これらの言説だけを聞けば、日本は経済的果実と外交的安定を同時に手にしたかのように思えるだろう。しかし、こうした表層的な成果の列挙は、本質的な論点を覆い隠しているにすぎない。表面的な数字の拡大や友好ムードの演出の裏で、日本側の主導権の欠如という根本問題が見過ごされてはいないだろうか。本当に日本は自身の国益を主体的に追求した結果としてこの合意を勝ち取ったのか――この問いに対する答えを得るためには、合意に至る過程と背景を詳しく検証する必要がある。
主導権なき交渉――米国主導の一方的戦略
今回の15%関税引き下げ合意の舞台裏を紐解くと、日本側には主導権がなかった事実が浮かび上がる。交渉のイニシアチブを握っていたのは日本ではなく米国であり、合意内容は米国側の戦略的意図に沿って一方的に形作られたものだったと考えられる。まず、関税引き下げというテーマ自体、米国側が自国の通商政策上の必要から提起したものである可能性が高い。近年、米国は中国への対抗上、同盟国との経済連携を強める戦略を打ち出している。トランプ政権期にTPP(環太平洋パートナーシップ協定)から離脱した後、米国はバイデン政権下でインド太平洋経済枠組み(IPEF)などを通じてアジアでの経済的影響力回復を図ってきた経緯がある。今回の合意も、そうした米国の対アジア戦略の一環として位置付けられ、日本に対し関税措置の変更を求めたものだと解釈できる。
実際、交渉過程では日本側の提案よりも米国側の要求が優先されていたと報じられている。例えば米通商代表部(USTR)は交渉開始当初から、日本が米国から輸入する農産品等にかかる関税の一律15%削減を強く求めていたとも伝えられる。日本政府は当初、自国農業への影響などから慎重姿勢を見せたものの、最終的には米国側の提示したラインに沿った譲歩を受け入れた形だ。仮にこの報道が事実だとすれば、今回の「合意」は名ばかりで、その実態は米国の意図した条件を日本が追認したにすぎないことになる。
また、合意のタイミングに関しても米国側の政治日程が色濃く反映されている。2024年の米国大統領選後、米政権は同盟強化の成果を内外に示す必要に迫られていた。ちょうどそのタイミングでの関税引き下げ発表は、米国政府にとって対日関係改善をアピールする絶好の材料となった。一方の日本側には、本来であれば自国の経済構造改革や他国との貿易協定交渉など優先すべき課題があったはずだが、米国の戦略に合わせる形で通商交渉のリソースを割かざるを得なかった。つまり、日本の政策課題の優先順位さえ米国の都合に左右された可能性が高いのである。
このように、15%関税引き下げの合意は表面的には共同の成果と喧伝されながら、その裏では米国主導の一方的な戦略の産物だったと言える。日本は自国の意思で戦略的判断を下したわけではなく、米国の描いたシナリオに沿って行動したに過ぎない。この構図は決して今回に始まったことではなく、戦後の日米関係において繰り返されてきたものである。次章では、1980年代以降の歴史を振り返りながら、日本がいかにして対米従属を深め「属国化」の道を歩んできたかを考察する。
1985年プラザ合意から続く「属国化」の系譜
今回の出来事を理解するためには、歴史的連続性の中に位置付ける視点が欠かせない。すなわち、広義の「属国化」プロセスとして1985年のプラザ合意から今日に至る流れを捉える必要がある。プラザ合意とは、1985年に米国の主導で開催された先進国間協調によるドル高是正のための合意であり、日本は主要参加国として円高容認を迫られた。当時、日本の貿易黒字拡大に苛立つ米国が打ち出したドル安誘導策に対し、日本政府は同調せざるを得なかったのである。その結果、合意後わずか数年で円相場は対ドルで急騰し、1985年に1ドル=240円台だった為替レートが1987年には120円前後とほぼ半分の水準になるほどの劇的な円高が進行した【【source†L1-L2】】。この急激な為替変動は日本経済に大きな衝撃を与え、輸出企業の収益悪化を招いただけでなく、国内では金融緩和による資産バブルを誘発し、その後の「失われた10年」へと繋がっていったと指摘されている。
プラザ合意は表向きには先進国間の協調による国際的合意とされたが、内実は米国の経済戦略に日本が組み込まれた出来事だったと言える。日本は自国経済への副作用を承知しつつも、米国の赤字是正という大義名分の前に自主的な金融・通貨政策の裁量を手放した形となった。この時期から、日本の経済政策は米国の要求や国際的枠組みによって方向づけられる場面が目立ち始める。その後の1989年の日米構造協議(SII)においても、米国は日本の市場構造や流通慣行など内政面にまで踏み込んだ改善要求を突きつけ、日本側はそれに応じる形で国内改革を約束した。こうした一連の経緯は、形式上は対等な交渉に見えながら、実質的には日本が米国の一方的要請を受け入れていく過程であった。
1990年代以降も、日米間では半導体や自動車、農産品の市場開放などを巡り折に触れて摩擦と交渉が繰り返されたが、その度ごとに日本は部分的譲歩を重ねてきた。象徴的な例として、2019年に締結された日米貿易協定では、日本は米国産農産物に対する関税を大幅に引き下げ、市場アクセスを拡大する一方、米国側は日本車への関税撤廃を先送りにし事実上据え置いた【【source†L3-L4】】。この協定は当時、「日本が譲歩を強いられた不均衡な内容」と一部で批判されたが、日本政府はそれを「ウィンウィン」の合意だと説明している。1985年から近年に至るまで、日米通商交渉の歴史は、日本が自らの主張を貫いて得た「勝利」よりも、米国の圧力に応じた譲歩と妥協の積み重ねだったと言っても過言ではない。
こうした累積が示すものこそ、広義の「属国化」プロセスである。無論、日本は主権国家であり形式的には独立国だが、経済・安全保障の両面で米国への高度な依存と追従を特徴とする状態は、属国にも喩えられ得るものである。実際、1980年代末には石原慎太郎氏と盛田昭夫氏による著書『「NO」と言える日本』が話題となったが、これは米国に対して言うべきことを言えない当時の日本の状況への危機感から生まれた提言であった。さらに2000年代にはオーストラリア人研究者ガバン・マコーマックが著書『属国――アメリカの抱擁』の中で、日本が米国の対アジア戦略に組み込まれ自立性を失いつつある実態を鋭く指摘している。こうした論者による批判に耳を傾ければ、日本の対米従属は一貫した構造的傾向であり、今回の関税引き下げ合意もその延長線上に位置する出来事であることが理解できるだろう。
メディア・官僚・世論の錯覚――なぜ「敗北」が「勝利」に見えるのか
以上のように、本来であれば日本にとって外交的譲歩とも言うべき合意が、なぜ国内では「勝利」として受け取られてしまうのか。その背景には、メディア・官僚・世論それぞれの錯覚と相互作用が存在する。
まずメディアについて言えば、日本の主要メディアは政府発表や外務省筋の情報をベースに報道を行う傾向が強い。政府高官や交渉担当者が「画期的な成果」と説明すれば、大手新聞や放送局は基本的にそれを追認する形で報じる。特に対米交渉の結果については、日米関係悪化を避けたいというバイアスも作用し、否定的な論調は敬遠されがちだ。結果として、関税引き下げ合意のような事例では、合意そのものの持つポジティブな側面――例えば「輸出増による景気押上げ期待」や「同盟強化」――が大々的に報じられる一方で、そこに至る過程で日本が払った代償や将来的な負の側面について深く掘り下げられることは少ない。メディアは一種の外交ショーの演出装置となり、「勝利」のイメージを国民に刷り込む役割を担ってしまっている。
官僚機構にもまた、錯覚を生む要因がある。日本の官僚、とりわけ外務省や財務省、経産省の官僚たちは、対米外交を円滑に運ぶこと自体が国家利益だという信念を半ば座右の銘としてきた歴史がある。彼らにとって、米国と衝突せず折り合いをつけることこそが「有能な外交」の証であり、多少の譲歩も安定的な関係維持のための必要経費と捉えられる傾向が強い。そのため、今回のような合意でも、裏側にどれほど日本側の譲歩や妥協があったとしても、表向きは「日本外交の成果」として誇示する。官僚にとっても、自らが関与した交渉が成功だったとアピールすることは組織的メリットが大きく、敢えて負の側面を強調するインセンティブはない。かくして官僚機構は自画自賛的な報告を行い、それがそのまま政府高官の発言やメディア報道に乗ることで、国民に「勝利」の物語が提供されるのである。
世論一般にも、この物語を容易に受け入れてしまう土壌がある。第一に、専門的な通商交渉の内容は複雑であり、一般の人々にとってその真の損得勘定を判断することは容易ではない。提供される情報がポジティブな見出しに終始すれば、「なんだかよく分からないが日本に良いことがあったらしい」との漠然とした印象だけが残る。第二に、戦後日本社会には長年にわたり「日米関係の安定=国益」という図式が浸透しており、対米協調路線が大きく疑われることは少なかった。教育やメディアを通じて培われてきたこの思い込みの中では、米国との摩擦を回避し協調を維持すること自体が善と考えられがちであり、結果として対米譲歩も積極的に肯定されやすい雰囲気がある。つまり、米国との合意が成立し両政府が笑顔で握手している光景を見れば、多くの国民は安心し、それを成功物語として受け止める心理が働くのである。
無論、冷静な目で今回の合意を分析し、日本の主権や経済に潜むリスクを指摘する識者や一部メディアも存在する。しかし、そうした批判的な声はしばしば「反米的」「理想論的」とみなされ、主流の議論に影響を与えにくい。政府や大手メディアによって作り上げられた「勝利」のイメージはあまりに強固であり、反論はかき消されてしまうのだ。結局のところ、メディア・官僚・世論が一体となって作り上げる認知のフレームが、「外交的敗北」を「国家的勝利」へと塗り替えてしまっていると言える。
交渉主体から「調整対象」へ――関税引き下げに象徴される現実
15%関税引き下げ合意が突きつける現実は、日本がもはや主体的に外交交渉をリードする地位にはおらず、他者の戦略に沿って動かされる存在、すなわち「調整対象」と化しているという厳しい事実である。本来、国家間の交渉とは双方が自国の利益を最大化すべくせめぎ合う場であり、結果として互恵的な落とし所を探るものだ。しかし今回のケースでは、日本側の主張や要求はほとんど表に出ることなく、米国側の提示した条件に日本が対応・調整するという一方向の力学が働いていた。交渉当事者であるはずの日本が、自らの意思で交渉の議題や条件を主導するのではなく、相手の意向に合わせて自国の政策を修正する対象になっていたという構図が浮かび上がる。
「調整対象」とは本来、主体的に決定を下す側ではなく、外部から与えられた条件に適応させられる側面を強く持つ存在を意味する。今回の合意における日本の立場は、まさにそれに当てはまる。たとえば、本来であれば日本側から米国に対し、自国産業を守るための猶予期間や代替措置など逆提案があって然るべきだが、合意内容を見る限りそうした日本発の条件は乏しく、もっぱら米国の求める関税率引き下げや市場アクセス拡大が中心となっている。日本は提示された選択肢の中から受け入れ可能な線を模索するにとどまり、自ら交渉の枠組みをデザインする主体とはなり得なかった。
この傾向は通商分野に留まらない。安全保障面でも、日本は米国の戦略方針に沿って防衛費の対GDP比引き上げや装備品の購入方針を調整している現状がある。経済と安全保障は表裏一体であり、いずれの領域でも日本が自発的に戦略を描き主体的に行動する余地は狭まっている。もとより同盟関係とは相互の歩み寄りによって成り立つものだが、対等なパートナーシップであるためには双方が独自の戦略目標を持ち、交渉で擦り合わせるプロセスが不可欠だ。ところが現在の日米関係を見ると、日本側の戦略目標は極めて曖昧であり、結果として米国の提示する目標に追随し調整する動きが常態化している。
15%関税引き下げ合意は、その意味でひとつの象徴的事件と言えるだろう。経済交渉という具体的な場面で、日本が自らの主権的意思を十分に発揮できないまま、外部から与えられた条件を受容した事実は、国際社会における日本の立ち位置を端的に示している。この事実を直視すれば、日本は表面的な経済利益や同盟の安定に安住している場合ではないことに気付くはずだ。むしろ、長期的視野に立てば、自国の主権や交渉力をいかに回復し強化していくかが問われていると言える。外交的演出の陰に隠れた構造的問題を看過しては、将来に禍根を残すだろう。
結論として、2025年8月の日米「15%関税引き下げ」合意は、日本にとって決して外交的勝利でも経済的成果でもなく、むしろ長年進行してきた主権喪失と構造的従属の現実を浮き彫りにするものであった。表面的な果実に目を奪われず、その陰に潜む代償とリスクに目を凝らすことが、いま知的読者に求められている姿勢であろう。国家主権、構造的依存、外交的演出が絡み合う複雑な現実を直視し、日本が真に自立した主体たり得る道を模索することこそ、長期的な国益に資することを強く訴えたい。
(信雅)