限量商法・転売・排外的言説――現代日本に蔓延する三位一体の構造

はじめに

戦後から現代に至る日本社会では、「限定品商法」(数量限定・期間限定など希少性を煽る販売手法)と、「転売」(いわゆる“転売ヤー”による商品買い占め再販)、そしてそれに絡む**「排外的言説」**(特に中国人への敵視)の三者が複雑に結びつき、社会問題化しています。例えば最近、人気キャラクター玩具付きのハッピーセットが即日完売したマクドナルドの店舗で、フリマサイトへの即時転売が発覚しましたameblo.jp。SNS上では「中国人の転売ヤーを撲滅せよ」といった過激な投稿まで現れ、瞬く間に外国人バッシングの様相を呈しています。これらは氷山の一角に過ぎず、背景には歴史的経緯と制度的な構造、そして日本特有の社会心理が横たわっています。本記事では、限定商法の起源と発展、転売問題が放置されてきた理由、排外主義的な言説との結託、さらにそれらを支える「文句を言うな・空気を読め」の同調圧力と企業の沈黙戦術、そして国際的視点から見た日本のリスクについて、冷静に論じていきます。各セクション末尾には要点のまとめを示し、問題の構造的理解を深める手がかりとします。

1. 戦後日本の限定商法:希少性マーケティングの起源と変遷

限定商法とは、「数量○○限定」「期間限定」「地域限定」など、商品やサービスの提供に上限や期限を設けることで希少価値を高めるマーケティング手法です。戦後直後の日本では物資不足から“限定”以前に本当の希少性が存在していました。配給制や闇市を経験した世代にとって、手に入らないこと=価値という感覚は日常でした。高度経済成長によって物資が潤沢になると、企業側は意図的に「希少性」を演出するようになります。これは1970年代後半から1980年代にかけて顕著になった消費社会の戦略です。当時の新聞にも「限定商品」のヒットが報じられるようになりtoyo.repo.nii.ac.jp、希少な限定品を求めて長蛇の列ができる現象が社会現象化しました。例えば、1983年には任天堂の家庭用ゲーム機が品薄となり年末に入手困難となったことや、1996年には携帯ペット玩具「たまごっち」の爆発的ブームで品切れ・高値取引が発生したことは有名です。企業は**「限定◯◯」という言葉が持つ魔力**に気付き、以降あらゆる業界で限定商法が氾濫します。飲料メーカーは期間限定フレーバーの飲料を次々投入し、菓子メーカーは季節ごとに限定パッケージや地域限定のお土産菓子を販売するなど、日本市場では多種多様な限定商品が当たり前のように売られている状況ですtoyo.ac.jp。化粧品業界でも「春限定カラー」や「数量限定コフレ」などが常態化し、限定品を追いかける熱心なファン層すら生まれていますx.com。 

この限定商法の心理的効果の裏には、経済学でいう**「スノッブ効果」があります。他人が持っていない希少品だからこそ欲しくなるという人間の性向で、マーケティング戦略として「限定○○」はこのスノッブ効果を狙った典型例とされていますstart-point.net。企業側にとって限定商法は短期的な売上増や話題作りに寄与し、ブランドへの注目度を高めるメリットがあります。しかしその一方で、「限定」の魅力が強まれば強まるほど、商品を手に入れられなかった消費者の不満も高まります。言い換えれば、限定商法は需要と供給のミスマッチ**をあえて生み出す手法であり、そのひずみに他者(後述の転売ヤー)がつけ込む隙を生むのです。 

実際、数量が予め限られた限定品は転売屋にとって格好の標的ですpresident.jp。ファンのコレクター心理を企業が煽れば煽るほど、「とりあえず買っておけば高値で売れる」という転売市場が成立してしまう現状があります。企業にとって販売戦略上は「完売御礼」で一旦成功でも、その陰で限定品の転売市場が活性化し、本来手にするはずだった一般の消費者に行き渡らない弊害を生んでいるのです。 

2. 転売ヤー問題の経済・法制度的背景:なぜ野放しにされるのか

人気商品が出るたびに現れる転売ヤー(高額転売を狙う再販業者)ですが、なぜこれほど長年にわたり野放しに近い状態が続いてきたのでしょうか。その背景には、日本の法制度上の穴と、市場原理優先の風潮があります。 

まず法的側面から見ると、日本には一般商品について転売そのものを直接禁止・罰則化する法律が存在しません。古くからコンサートやスポーツの「ダフ屋行為」は都道府県迷惑防止条例で禁じられてきましたが、商品転売については明確な規制がなく、せいぜい卸売業者に対する再販価格維持の制限や景品表示法の枠がある程度です。2019年にはようやく 「チケット不正転売禁止法」 が制定され、興行チケットの高額転売に刑事罰が科されるようになりましたbunka.go.jpgov-online.go.jp。しかしこれはあくまでイベント入場券に限った法律であり、ゲーム機や限定玩具、ブランド品など物品の転売は依然グレーなままです。 

日本の中古品取引を規制する古物営業法にも盲点があります。本来、継続的に中古品を売買するには公安委員会の許可(古物商許可)が必要ですが、この法律上「中古(古物)」とは一度使用されたもの、または「新品でも使用のために譲渡されたもの」を指しますkottolaw.com。裏を返せば、「最初から転売目的で新品を購入した場合、それは古物ではない」との解釈が一般に成り立ってしまうのですkottolaw.com。その結果、転売ヤーが店頭で新品を大量購入して転売する行為は「古物商」には当たらず、無許可でも事実上営業可能という抜け穴になります。この通説的解釈により、多くの転売業者が古物免許なしに活動できているのが現状です。 

もっとも、全く法の網が及ばないわけではありません。やり方次第では詐欺罪等で摘発されるケースもあります。例えば転売目的を隠して「お一人様1点限り」の購入制限をかいくぐるために代理人を動員したり、「転売しません」と偽ってチケットを購入したりすれば、それは店舗や主催者を欺いて商品を取得したことになり得ますkottolaw.com。実際、兵庫県警は2019年までに「転売目的を隠してチケット購入」を行った転売グループを次々と摘発し、サカナクションや嵐、東方神起のコンサートチケット転売で9件の逮捕者を出していますkottolaw.com。このようにチケット転売では警察も本腰を入れ始めていますが、これはあくまで“だまして取得”という詐欺の構成要件を使った摘発であり、商品の転売一般を網羅的に規制するものではありません。 

法整備の遅れだけでなく、経済的な誘因と黙認も転売蔓延の理由です。企業側から見れば、転売ヤーが現れるほど商品が話題になり品薄になるのは「人気の証拠」であり、ブランド価値や追加生産による売上増にもつながります。極端に言えば、「転売屋にすら買い占められる商品」というのはマーケティング的には成功の裏返しでもあります。また、フリマアプリやネットオークション運営企業にとっては、転売目的の大量取引も手数料収入の源です。例えば国内最大級のフリマアプリ「メルカリ」では、高額転売が社会問題と批判されつつも、明確な禁止措置は取られていません。2020年のコロナ禍でマスクの転売が社会問題化した際には国が緊急措置で禁じましたが、それ以外の商品(ゲーム機やカード類など)は現在でもメルカリで自由に売買可能です。今年(2025年)に入りコメの価格高騰時にメルカリが出した対応も、「政府発表を確認し冷静な対応を」と注意書きを表示したに留まり、販売自体は継続されましたnews.goo.ne.jp。SNSでは「注意喚起はしたから購入は自己責任という意味か」と批判の声も上がりましたnews.goo.ne.jpが、プラットフォーム側は「場を提供しているだけ」という建前で転売行為そのものは禁止せず黙認しているのが実情です。 

つまるところ、転売問題が放置されてきた背後には「法律の不備」と「当事者の経済的利得」が絡んでいます。高額転売で迷惑を被るのは真面目な消費者と正規の販売元ですが、皮肉にも販売プラットフォームや一部メーカーは転売によって得する側面もあるのです。利益を優先する立場からは、社会的批判に配慮して表向きは「転売対策に努めます」とポーズを取ったとしても、根本的解決に本気で取り組むインセンティブは弱いでしょうleapleaper.jp。この構図こそが、転売ヤー問題の根深さを物語っています。 

3. 排外的言説と転売問題の結節点:なぜ「中国人」が標的にされるのか

限定商品が転売ヤーに買い占められる状況が生まれると、日本の消費者の不満は一気に高まります。その矛先としてしばしば槍玉に挙がるのが「中国人転売ヤー」です。なぜ常に中国人が名指しされ、排外的な言説が飛び交うのでしょうか。その背景には事実関係と偏見の両面があります。 

まず事実面として、前節で述べたとおり日本国内で活動する大規模な転売組織の多くに中国向けの販路が存在します。中国人ネットワークが本国に独自の販売ルートを持ち、日本の商品を大量に仕入れて中国市場でさばくという構図が確かにありますpresident.jp。人口14億人の中国では、たとえ0.1%の人々がある商品を欲しただけでも140万人の需要となり、日本市場にとって脅威的な購買圧力となりますpresident.jp。こうした巨大な需要を背景に、日本で暗躍する転売組織のトップ層には中国人が多いことが指摘されていますpresident.jp。彼らは自らを「転売ヤー」というより「貿易会社」だと認識し、ビジネスとして動いているpresident.jp。その下には、日本国内で実際に店舗に並んで買い集める人々(いわゆる「買い子」「並び屋」)を組織するリクルーターがいて、さらに末端でアルバイト感覚で動員される学生や主婦がいるpresident.jppresident.jp。このように、中国人転売ブローカーと日本人アルバイトという構図が存在することは確かです。実際、「中国人転売ヤーの下で、日本人が日雇いの買い子・並び屋として使われている」というルポも報じられていますpresident.jp。 

しかし、多くの一般消費者にとって表面から見えるのは、「また中国人がごっそり買い占めている」という光景や伝聞だけです。たとえば秋葉原のカードショップが外国人客お断りの貼り紙を出したとか、観光地のドラッグストアで中国人観光客が粉ミルクを大量購入しているといったニュースに接すると、「自分たちの生活必需品や楽しみが横取りされている」という反感が湧き起こります。こうして**「転売=中国人のせい」**という図式が安易に受け入れられてしまうのです。SNS上でも冒頭で触れたような「中国人は日本に必要ない」といったハッシュタグが飛び交い、中国人全体を犯罪者かのように語る書き込みが後を絶ちません。 

では、なぜ標的が「中国人」に集中するのか。その根底には日本社会に根強く存在する対中観感情と、ネット時代特有の仮想敵作りの構造があります。日本のインターネット上では、2000年代以降一部でナショナリスティックな言説が台頭し、中国や韓国、在日外国人を仮想敵に仕立てて憂さ晴らしをする風潮が指摘されていますgenron-npo.net。現実社会で不満を抱える人々がネット上で中国・韓国叩きに興じ、「○○人のせいで自分たちの秩序が乱されている」と騒ぎ立てる――転売問題はまさに格好の燃料となってしまうのです。さらに、中国人に対する偏見(「マナーが悪い」「金にものを言わせて買い占める」等)はメディア報道によっても増幅されました。2015年前後のいわゆる**「爆買い」ブームでは、訪日中国人観光客が高額商品を大量購入する様子が連日報じられ、歓迎と警戒が入り混じったイメージが形成されました。こうした下地があるため、転売ヤー問題が浮上すると真っ先に「また中国人か」**という反応が拡散してしまうのです。 

無論、現実には転売に関わる人物すべてが中国人なわけではなく、日本人の関与も大きいのですが、ネット上の糾弾は往々にして単純化されがちです。一度「敵」と見なされた対象には激しい言葉が浴びせられ、問題の本質である制度的な欠陥や企業の責任といった議論は脇に追いやられます。「中国人さえ排除すればすべて解決」という短絡的な主張がもてはやされる陰で、実は多くの日本人転売協力者が存在し、企業戦略にも問題があるという事実は直視されにくくなるのです。その意味で、排外的言説は問題のすり替えに他なりません。怒りの矛先が外国人へと向かうことで、構造的な原因追及や改善策の議論がおろそかになる危険があります。

辛辣な指摘: 「転売ヤー=中国人」という単純化した敵を叩いて溜飲を下げているうちに、私たちはいつの間にか問題解決から目を背け、“共犯”になってはいないでしょうか。

4. 「文句を言うな、空気を読め」―日本社会の秩序維持と責任転嫁のメカニズム

転売や限定商法に対して不満を抱いたとき、私たちは本来その原因に目を向けるべきです。ところが日本社会ではしばしば、不満を声高に上げること自体がタブー視され、「文句を言うくらいなら自分が我慢しろ」という空気が支配します。この章では、そうした秩序維持の論理責任転嫁の構造を分析します。 

日本には古くから「空気を読む」文化があります。和を乱さず、場の雰囲気に合わせて行動することが美徳とされ、集団の平穏を重んじる気風です。そのため、たとえ理不尽な状況に直面しても、露骨に文句を言ったり抗議したりする人は「空気が読めない奴」と疎まれることが少なくありません。「出る杭は打たれる」という諺が示す通り、声を上げる個人が却って非難の対象になるケースも多々あります。 

限定商法や転売の問題でも、この同調圧力がしばしば見られます。たとえば、人気の限定商品が買えなかった消費者が「もっと生産量を増やすべきだ」「企業の売り方に問題がある」と声を上げると、「文句言うなよ、欲しければ朝から並ぶ努力をしろ」といった反応が返ってくることがあります。一見もっともらしい自己責任論ですが、これは本来企業側の供給計画や対策不足といった「責任」を、購入できなかった消費者個人の問題にすり替える論法です。つまり**「秩序」を守るために「責任」が摩り替えられている**と言えます。 

この構造は、日本社会全般に見られるモラルエコノミー(道徳経済)の特徴でもあります。消費者トラブルや不祥事が起きた際に、まず個人のモラルや我慢が問われ、制度上の欠陥や権利保護の議論が後回しになる傾向です。転売問題で言えば、「転売から買う方も悪い」「本当に欲しいなら並ばなかった自分が悪い」という風潮がそれに当たります。「欲しければ早起きして並べ。買えなかったのは自己責任だ」という論調は、一見筋が通っているようでいて、そもそも仕組みがおかしくないかという問いを封殺してしまいます。 

また、「みんな我慢しているんだからお前も従え」という横並び意識も強固です。限定品が手に入らなかった悔しさや転売ヤーへの怒りを口にすると、「大人げない」「それが世の中だ」と諭されることすらあります。こうして不満のガス抜きは、より弱い矛先(前節の外国人叩きなど)に向かうか、あるいは泣き寝入りに終わりがちです。結果的に、企業やプラットフォームなど本来権限や責任を持つ側にはプレッシャーがかからず、現状が温存されてしまいます。 

さらに、日本の消費文化には「お客様は神様」の裏返しとして「店側のルールは絶対」という考えも浸透しています。店が「お一人様1点限り」と言えば絶対に守るべきで、それを破る転売ヤーはもちろん非難されるべきですが、一方で「1点限りで売り切れるくらいならもっと用意してよ」と店に言うのは憚られる空気があるのです。「売り切れ御免」は商売の常、苦情を言うのは野暮、という価値観がどこかにあります。 

このように、同調圧力と自己責任論が絡み合うことで、問題提起や改善要求の声が上がりにくい土壌ができています。その典型が先述のメルカリの例でしょう。メルカリがコメ転売問題で注意書きを出した際、本来「プラットフォームとして転売を禁止すべきでは」と問われるべきところを、「注意はしたのだから後は利用者の自己責任」というメッセージにも読める対応でしたnews.goo.ne.jp。この姿勢に対しSNS上では「購入は自己責任という意味か」と批判が出ましたがnews.goo.ne.jp、結局メルカリは販売継続を決めています。「企業も対策してるんだから文句言うな、嫌なら利用するな」というムードが醸成されれば、そこで議論は止まってしまいます。 

要するに、日本社会では**「空気を読んで文句を言わない」**ことが秩序維持の装置として機能し、その結果、構造的な問題の責任が個人に転嫁されがちなのです。転売問題でも、企業や制度への批判より先に「転売品を買う奴が悪い」「徹夜で並ばない奴が悪い」といった話になり、本来改善すべき部分が放置される傾向があります。この道徳的圧力は、一種の経済秩序として日本社会に染み付いており、変化を阻む壁にもなっています。 

5. SNS時代の仮想敵と「言葉の暴力」:可視化された憎悪とその非対称性

近年、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の普及によって、社会の様々な声が可視化されるようになりました。しかしそれは同時に、特定の誰かを仮想敵に仕立てて集中的に攻撃する現象も生み出しています。転売問題に関連して吹き荒れる排外的な誹謗中傷は、その典型例と言えるでしょう。本節では、SNS上で噴出する言葉の暴力と、その非対称な構造について考察します。 

SNSでは匿名または半匿名で発信ができるため、日常では口にできないような過激な発言も容易になされています。限定商品が買えず鬱憤の溜まった人々が「転売ヤー死ね」と憤ったり、前節で述べたように「中国人出て行け」などの差別的ハッシュタグを付けて投稿したりするのも、一種のガス抜き行為かもしれません。しかし、その矛先となった人々にとっては、そうした言葉は紛れもなく暴力です。特に外国人や社会的少数者に対するヘイトスピーチは深刻な傷を残します。現実問題として、日本には包括的な差別禁止法が存在せず、街頭やインターネット上で排外的ヘイトスピーチが溢れていても十分な対抗措置がないのが実情ですimadr.net。その結果、傷つけられるマイノリティのコミュニティが放置されていると国際人権団体からも指摘されていますimadr.net。 

SNS上の攻撃が非対称的であるとはどういう意味でしょうか。一つは、攻撃する側(多数者・匿名の群衆)と攻撃される側(少数者・特定個人)との力関係の不均衡です。例えば「中国人転売ヤー」と一括りにされる人々は、実際には顔も名前も見えない匿名多数から一方的に罵倒される立場に置かれます。攻撃する側は数の力や匿名性に守られ、個々人は責任を問われにくい。一方、攻撃される側は防御手段が限られ、反論しようにも声はかき消されがちです。この多対一の構図は、まさにリンチにも似た状況と言えます。 

さらに、SNSではセンセーショナルな「敵」像が拡散しやすいという性質も非対称性を助長します。本来、転売問題の原因は多岐にわたるはずですが、「悪いのは中国人」「転売ヤーという悪がいるからだ」といった単純化した図式のほうが注目を集め、RT(リツイート)や「いいね」を稼ぎやすいのです。その結果、冷静な分析や反論よりも、感情的で過激な攻撃のほうが可視性を増すという偏りが生まれます。一度「#中国人は日本に必要ありません」などというハッシュタグがトレンドに入れば、それを見た人は「皆がそう言っている」と誤認しかねません。負の感情が増幅・連鎖し、一人歩きしていくわけです。 

このような状況下、言葉の暴力に晒される当事者は深刻なダメージを受けますが、その苦痛はなかなか多数派には伝わりません。声を上げても「被害者ぶるな」「事実を言われているだけだ」と切り捨てられることもあります。これも非対称性の一つで、攻撃する側は自身の言葉が相手に与える影響を実感しにくく、攻撃される側は泣き寝入りを強いられるという構図です。 

SNS企業や政府も、この問題に対して必ずしも十分な対応ができていません。法務省は2016年にヘイトスピーチ解消法を施行しましたが、罰則規定のない理念法であり、ネット上の差別投稿を直接取り締まる力はありませんmoj.go.jp。地方自治体レベルでは川崎市などがヘイトスピーチ条例で罰金規定を設けましたが、インターネット空間全体をカバーするには至っていません。結果として、ネット上では過激な言論が野放しに近い状態が続いていますimadr.net。攻撃する側は「言論の自由だ」と正当化し、プラットフォームは規約違反への対応に後手後手、被害者は孤立無援──これでは非対称な暴力がまかり通るのも無理はありません。 

転売問題から派生した中国人叩きは、その典型例です。ある中国人留学生がカードショップで大量購入する動画が拡散すれば、本人は晒し者にされ、見知らぬ大勢から罵詈雑言を浴びせられます。しかし彼や彼女が個人として弁明する機会はほとんどなく、日本語で反論しても届かないでしょう。多数側は自らの言動を省みることなく、「正義の鉄槌」を下したつもりでいるかもしれません。その陰で、当事者の尊厳は踏みにじられ、安全な環境で暮らす権利が脅かされています。 

6. 企業の「沈黙」という統治術:誰が得をして、誰が声を奪われているのか

転売問題や限定商法をめぐる炎上が起きたとき、当の企業やブランドは何をしているかに目を向けてみましょう。結論から言えば、多くの場合、企業は公には多くを語りません。トラブルが起きても最低限のコメントやお詫びを出すに留め、それ以上の踏み込んだ対応は取らないことがほとんどです。この**「沈黙」を守る姿勢**こそ、企業にとってある種の統治術と言えます。 

限定商法で商品が瞬時に売り切れ、消費者から不満が噴出しても、企業側は「想定を上回る反響によりご迷惑をおかけしております」程度のコメントしかしないケースが多々あります。例えばポケモンカードゲームが品薄で大混乱となった際、公式は「ご不便をおかけし心よりお詫び申し上げます。生産強化に努めます」と謝罪コメントを出しましたoricon.co.jp。しかしそれ以上に転売について踏み込んだ非難や具体策は述べません。結果として、転売ヤーへの怒りはファン同士やSNS上のバッシング合戦に委ねられ、企業自体は矢面に立たずに済むのです。ポケモンカード公式の謝罪後も、Twitterでは「#転売ヤー許すまじ」がトレンド入りし、ファンの怒りは転売行為者へ向かったままでしたkai-you.net。企業としては、生産を増やして需要を満たせば売上は伸び、ブランド熱も維持できます。転売問題について深く言及しないことで、ファンの怒りの矛先を自分達から逸らす効果があるわけです。 

また、企業にとって都合の悪い事実――たとえば「自社の商品が転売市場で高騰している」「海外の業者に買い占められている」といったこと――は、下手に触れればブランドイメージを損ねかねません。沈黙を貫けば公式には「問題なし」の体裁を保てます。一方でユーザー同士がSNSやコミュニティで議論し、勝手に仮想敵(転売ヤーや外国人)を見つけてくれるのであれば、企業は傍観者でいられます。**「沈黙は金」**とはまさにこのことです。 

さらに、企業は転売に直接関与していない以上、表立って非難されにくい立場でもあります。消費者からすれば「○○社の商品が買えない!」と怒りたいところですが、「でも限定品だし仕方ないか…」と諦めてくれる。そこへ都合よく転売ヤーという悪役が現れれば、企業はむしろ被害者ヅラすらできるかもしれません。実際、任天堂のように株主総会で「転売対策は?」と問われ「検討します」と答える例はありますがleapleaper.jp、積極的に自社で再販価格維持政策を取る企業はほとんどありません。要するに、企業は静かにやり過ごすことで得をしているのです。 

一方で、声を上げられない・上げにくい立場に追いやられているのは誰でしょうか。まず消費者です。前章まで述べたように、文句を言いづらい空気の中で個々の消費者の声はかき消されがちです。「買えなくて悔しい」「転売屋から買うしかなくて辛い」という声は、クレーム扱いされてしまえばそれまでです。また、現に転売被害(定価で買えず高値で買わざるを得なかった等)に遭っても、法的救済はなく泣き寝入りするしかありません。 

さらに、転売ヤーに名指しされた外国人コミュニティもそうです。彼らはSNS上で激しい非難に晒されても、日本社会の中では少数派ゆえに反論の声が広がりにくい。仮に中国人グループが「我々はルールに従って買っているだけだ」と主張しても、多数派である日本人ユーザーには届かないでしょう。結局、彼らの声は黙殺され、負のレッテルだけが残ります。企業も公式にはその件に触れないため、「なかったこと」のように振る舞われます。 

プラットフォーム企業(フリマアプリ運営など)についても同様です。彼らは批判が高まると一応「高額転売への注意喚起」や「規約順守をお願いします」といったコメントは出します。しかし前章で引用したように、「場を提供しているだけ」という詭弁で実質的な規制には踏み込まずleapleaper.jp、問題の根本に切り込むことはしません。そして時間が経てば世間の関心も薄れ、転売マーケットはまた平常運転に戻っていくのです。 

総じて見ると、沈黙を保つ企業・プラットフォーム側と、声を上げられない(上げても届かない)消費者・マイノリティ側という対照的な構図が浮かび上がります。転売問題で一番利益を得ているのは、商品を売り切った企業と、儲ける転売業者、そして手数料を潤うフリマプラットフォームです。一方、損害を被っている消費者や、スケープゴートにされる外国人は、声を上げる場も無ければ救済もされません。この不均衡を是正しようという圧力は内部からは生じにくく、だからこそ企業は沈黙を続けられるのです。 

7. 国際社会から見た「排外的寛容」と日本へのレピュテーションリスク

最後に、こうした限定商法・転売・排外言説の三位一体の問題を国際的な視点から捉えてみます。日本国内では「まあこういうものだ」と受け流されている状況も、海外から見ると大きな疑問符や批判の対象となり得ます。むしろ、日本社会のある種の「不寛容さへの寛容(排外的言動を許容する姿勢)」は、国際社会での日本の評価・信用を損ねるリスクを孕んでいます。 

具体的な例を挙げましょう。今年(2025年)5月、大阪のある焼き鳥店が**「中国人お断り」**の貼り紙を出し物議を醸した事件がありました。店側はすぐに撤去し、本社が日本語と中国語で謝罪文を発表しましたがrecordchina.co.jp、この件はすぐさま中国の主要メディアで報じられ、Weibo(中国版Twitter)では関連ワードがトレンド入りするほど注目を集めましたrecordchina.co.jp。中国のネットユーザーからは「謝罪なんて不要、そのまま潰れろ」といった怒りの声や、「店には客を選ぶ権利がある」という冷ややかな声など様々な反応が出たと伝えられていますrecordchina.co.jp。いずれにせよ、多くの中国人にとって「日本で中国人差別が起きた」という印象を植え付けたことは間違いありません。 

このように、日本国内の排外的な言動はリアルタイムで国外に発信・拡散される時代です。コロナ禍初期にも、静岡のラーメン店で店員が中国人客に「チャイナ・アウト!」と罵倒したとの情報が香港経由で拡散し、中国のみならず他のアジア諸国でも報じられましたnews-postseven.com。国際都市・東京でヘイトスピーチデモが行われれば、海外メディアは「日本で外国人差別デモ」と報じます。こうしたニュースの蓄積は、じわじわと日本の国際的イメージに影を落とします。 

日本政府も近年、ヘイトスピーチや差別対応について国連などから繰り返し勧告を受けています。国連人種差別撤廃委員会は、日本には人種差別を包括的に禁止する法律が無く、差別的ヘイトスピーチが街頭やインターネット上に蔓延していると懸念を示していますimadr.net。2016年のヘイトスピーチ解消法は歓迎されたものの実効性に欠けるとの批判も国際NGOから出されていますhurights.or.jp。要するに、「日本は差別を許さないというメッセージを明確に打ち出していない」という評価です。 

このままでは、**「日本は排他的な言動に甘い国」**というレッテルを貼られかねません。観光やビジネスで日本に関わろうとする外国人にとって、「自分たちは歓迎されないのではないか」「トラブルが起きても守ってもらえないのではないか」という不安材料になります。実際、日本に留学・就職した外国人の中には、ネット上の外国人バッシングを目にしてショックを受けたという声もあります。一部には「日本に行くのは避けよう」といった書き込みが海外SNSで見られることもあります。 

また、企業活動の面でも無視できません。グローバル企業はダイバーシティ(多様性)尊重が当然視される時代です。国内市場向けのマーケティングで外国人排除のメッセージが発信されてしまえば、その企業は海外から批判にさらされるリスクを負います。近年では、国際的なSNS上で炎上すると海外メディアにも拡大し、企業の株価に影響したり不買運動につながったりする事例もあります。日本企業や自治体が排他的と受け取られる対応をした場合、そのニュースは瞬時に英語や中国語で拡散し、ブランドイメージを傷つけるでしょう。 

加えて、日本自身が今後ますます外国人労働者や観光客に頼らざるを得ない現実があります。少子高齢化で労働力不足の日本は、海外からの人材受け入れを拡大していますし、インバウンド観光も地方経済の重要な柱です。その際に、「日本人以外は冷遇される」「差別されても泣き寝入り」といった印象が広まれば、人材も観光客も他国に流れてしまうかもしれません。実際、東京五輪前には「おもてなしの国でヘイトスピーチなんてあってはならない」という声も専門家から上がっていましたmainichi.jp。つまり、日本社会に内在する排外的傾向への寛容さは、国益にも反する時代になっているのです。 

「排外的寛容」とは皮肉な表現ですが、要は「差別的な言動を黙認する寛容さ(実は不寛容の放置)」という意味合いです。これを改めない限り、国内問題としての転売・限定商法トラブルも、本質的には解決しないでしょう。なぜなら、責任転嫁とスケープゴート探しでお茶を濁し、構造改善を怠る社会は、他の課題に対しても同じパターンを繰り返すからです。そして、そのツケはやがて国際的信用の低下として跳ね返ってきます。 

おわりに:三つ巴の問題にどう向き合うか

限定商法・転売・排外言説――本稿ではこの三者が現代日本でいかに絡み合い、制度と心理の両面で固定化されているかを論じてきました。企業は限定商法で一時的な熱狂を生み出し利益を得る一方、その歪みが転売市場を潤し、消費者の不満が高まると矛先は弱い立場の外国人に向けられる。そして社会は「空気を読んで」構造的問題を直視せず、当事者は沈黙させられ、国際的には日本への不信が募る――極めて不健全な循環です。 

では私たちはこれにどう向き合うべきでしょうか。まず求められるのは、問題の本質をすり替えず構造的に考える視点です。限定品が買えなかった怒りをただ転売ヤー個人や外国人集団にぶつけても何も解決しません。なぜそんな状況が生まれるのか、制度や市場原理の欠陥は何か、企業の戦略や責任はどこまであるのか、といった冷静な分析が必要です。 

次に、声を上げることの重要性です。「文句を言うな、空気を読め」に屈して沈黙していては、変化は起きません。消費者としての正当な要求(適正な供給や転売対策の強化など)や、差別を許さない姿勢は、遠慮せず発信していくべきです。それは決して「空気を乱す」ことではなく、より良い秩序を作るための建設的な提言であるはずです。 

企業側も、短期的なマーケティング成功に安住せず、長期的な視点でブランドと社会の健全性を考える必要があります。限定商法も度が過ぎればブランド離れや消費者の不信を招きますし、転売横行を放置すれば顧客体験を損ないファンを失います。また、多様な顧客を受け入れるインクルーシブな態度を示すことは、グローバル企業としての責任でもあります。沈黙による統治ではなく、透明性と対話によって信頼を築く姿勢が求められます。 

三者が絡んだ問題は一朝一夕に解決しません。しかし、一つひとつの場面で「本当の敵は何か」「守るべき秩序とは何か」を問い直すことで、少しずつでも悪循環を断つことは可能です。限定商法の熱狂の裏に潜む影、転売という市場の歪み、排外言説という社会の毒を直視し、健全な経済と寛容な社会を取り戻していくこと。それが今、私たちに突きつけられている課題と言えるでしょう。 

【参考文献・情報源】本記事で引用した資料や報道より:

学爾時習之、不亦悦乎? 有朋自遠方来、不亦楽乎? 人不知爾不愠、不亦君子乎?

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